講演 「戦後かぶき三国志」 松井今朝子 【2】

<続き>です。
(東宝の侵略)
小林一三は「大谷君は歌舞伎劇は保存すべき芸術であると言っているが自分は変化すべき芸術であると考える。なぜなら国民劇だからである」

(国民劇とは)

・5千人に訴求力がある。
・歌・舞・芝居の揃ったものがそれである。
・歌舞伎にはもともと歌・舞・わざ(芝居)がそろっている。
・しかし、三味線では脆弱である。
・西洋音楽に耳が慣れてしまっている。

洋楽を使ったミュージカル路線が国民劇であるという理念で芝居を作ろうとする。

武智鉄二の武智歌舞伎から
引き抜きを依頼する。

(昭和30年 東宝歌舞伎)
長谷川一夫で行う。

「春夏秋冬」という日舞の景。
服部良一音楽(洋楽)。

昭和30年~58年まで続く。
この東宝歌舞伎は長谷川一夫の魅力によるものだった。
長谷川一夫は真のエンターテイナーだった。
(ファンに笑顔を忘れず、感謝を忘れない)

歌舞伎役者は庶民からかけ離れていた。
長谷川一夫は芸人魂を忘れない人だった。

歌舞伎は海外公演をするうちに誇りを持つようになったが、庶民からかけ離れていく。
昔からの芸人としての意識が希薄に。

(計約ということ)
昭和36年
初代松本白鸚
9代目松本幸四郎
2代目中村吉衛門
が東宝へ移籍。

松竹は役者と契約しないで基本なあなあでやっていた。
そこへ東宝の急襲を受ける。

契約を盾にとって役者をとっていく。
松竹もこれを機に自分たちを守るために契約するようになっていく。
緊張関係が芝居環境を良くしていった。

(昭和36年~37年にかけて)
河竹繁俊が、歌舞伎が衰退してることについて、述べている。
昭和35年くらいから関心が急速に薄れていったことについて。
文語が日常生活から消えていったのが大きな問題だったのである。

ある世代から全く文語文が読めなくなっている。伝統の断絶を感じた。
歌舞伎の世界が遠いものと考える世代とくっきりした分かれ目がある。
歌舞伎の熱狂が収まるのが昭和35年36年。
歌舞伎が今後どうなるのか不安がやってきた。

そこに国立劇場がたつ。
戦前から、いや、明治から国立劇場設立の動きはあったが、
なんとか昭和24年文化財保護法、芸能施設調査委員会、

小宮豊隆・久保田万太郎・河竹繁俊3人陳情。
国立劇場昭和33年パレスハイツ(GHQの商工住宅地の跡地)
昭和37年決定
(この時団十郎襲名)
松竹歌舞伎審議会180名もの著名人が名前を連ねているが、実際の行動は何かはよくわからない。
でも、自分たちの立場を守ろうとした。

国立劇場(昭和41年)法案成立
目的)・歌舞伎俳優養成
    (500名ほどいた歌舞伎俳優が30年代後半には240名ほどに減っていた)
    (主役はいたが脇役がいなくなった。)
    ・作る人の保護の目的

(歌舞伎俳優の意識)
・博物館の番人になりたくない。
役者は芸能人である。

国立劇場の公演形態はおもな役者を松竹から借りている。
現在の歌舞伎界は松竹が押さえた状態。
このことはそんなによくない。
緊張関係があったほうがいい。
保護しなければならない存在になるのは良くない。

役者の魅力に磨きをかけ、単なる古典芸能ではない、エンターテインメントであり続ける歌舞伎を望む。


<以上>

    
<感想>
おもしろかったのですが、
もうちょっと聞きたかった感じです。
60分しかなかったから、最後のほうは本当に駆け足って感じでした。
もっと、深い話とか。

パート2とかないかしら。

松井今朝子さんの話がおもしろかったので、
マンガ歌舞伎入門を購入。
ついでに春猿さんの「女づくり」も売っていたので買ってしまった。











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